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執筆者の写真森 泰人(Hiroto MORI)

Have another bite!


「自由意志と規律」では規律なくして本当の自由はないという気付きを得た。自由気ままは魅力的だが、規律がないならば、本当の自由とはならない。なぜなら この世の中 誘惑(蛇)にあふれているから。誘惑から自由になって、初めて広い世界、新たなステージが生まれるということは理解した。


だがだが 誘惑は魅力的。自由気ままでいると次から次へと誘惑が舞い降りてくる。それを戒律や規律や常識ですべて取り除くのは至難の業だ。


それ故に出家した仏教修行者には、戒律が課される。本来ズボラな私は戒律を課されるのはいやだ。だが自ら規律を設けることは大切だと理解している。さて、誘惑の一つ一つにどう対処したらいいのだろうか??


仏教思想、東洋思想を世界に紹介した鈴木大拙先生は、西洋キリスト教社会において浸透している「原罪」についてユニークな立場で評した。*原罪:キリスト教で人類が最初に犯した罪。アダムとイブが禁断の木の実を口にし、神の命令に背いた罪。アダムの子孫である人類はこの罪を負うとされる。

(大辞泉) 旧約聖書にあるこの有名な話、誘惑に負けてしまったアダムの子孫とされる私だが・・・この罪をどう乗り越えていけばいいの?


鈴木大拙先生は、”Have another bite!: もう一度 (リンゴを)かじりなさい!”と即答した。いっぺん味わったリンゴ(木の実)がおいしいということを、まず、もう一度意識の上で確認してごらん。本当にそうなのかどうか確認してごらん。と言った。つまり、本来を確認するということ。意識の上で確認したことは、その後大いに役立つはずだから。これは人生を味わうことに連なる。我々は「楽園」(安心で困らない自由な地)を求めているもの。まずは味わっていい。確認できるまで味わって卒業していけばいい。そして本来との距離感に敏感になっていく。それでいいじゃないか。人生も社会も改善していくというスタンスだけは忘れまい。確認できるまで「かじる(味わう)」。  2022.8.23

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