宮園氣道のズボラー瞑想は、時空を超え、生死を超え、宇宙を旅する瞑想だが、その核心は、「自己を忘れる」ことにある。自己を捨てることは肉体がある故にできないが、瞑想中に一時的に自己を忘れることはできる。
自己を忘れるということは、自己を宇宙に明け渡すこと。宇宙は母なるふるさとであり、いずれ私が死んだら赴くところ。だから、ズボラな私が毎日瞑想して、あの世(宇宙)を体験することは、生死のドラマを毎日シュミレーションしているに等しい。宇宙は広大で人間の理性では捉えきれていない未知のもの。無限、永遠の世界と言ってもいい。
私ってインクの一滴のようなもの。それは液体状で流動的だが宇宙から生じた生命ある物質的存在だ。私が宇宙という大海、そう太平洋を想定してもいい。私という一滴のインクが太平洋にポチャっと落ちたところで、太平洋は汚れない。たとえ多くのインクが注がれても大海は風による波によって常に浄化されているので清浄を保っている。人間が海を汚している微細なプラスチックごみも年月はかかるがやがて海は浄化してしまうといわれている。
さてインクの一滴に過ぎない私は大海という宇宙を決して汚してはいないが、宇宙に溶け込んで、一瞬にして消え去ったようにしか見えない。実は、私はなくなってはおらず、どこまでも薄まって、全大海(全宇宙)と一つになり、一体化したに過ぎない。つまり消滅したわけではなく、広がりあまねく把握できる存在へと変容しただけだ。地上での死は同時に、あの世という異次元での誕生を意味する。一見の死、実はふるさとに帰って大いなる生を生き、リセットされたに過ぎない。個霊化した私が大霊の元に戻ったと言ってもいい。瞑想はこの生命体の命の働き、流転を自覚させてくれる。ここに不思議な喜びが生じる。これは「命そのものの耀き」を観る、悟ると言ってもいい。
毎日のズボラー瞑想による宇宙旅行では、毎日驚きの発見や気づきがある。時には大発見もある。つまり、「直観によって導かれる人生」が訪れる。私が自然と宇宙に溶け込み、宇宙と一体化するとき、私は宇宙だといえる。インクの痕跡は残していても、汚れは薄まっても実在しているわけだが、それでも、大方宇宙に身をゆだねて、楽しく、平安で、幸せなのである。毎日のように私の今生のテーマ(使命)に沿ったヒントやアイデア、答えや方法が直観的に示される。私は迷う必要がなく不安もなくただ導かれるままに、マイペースで歩く。こうした流れで宮園氣道は苦労なく、自然に出来上がってきた。
私は宇宙。この実感が深くなると宇宙を味方にした生き方が訪れる。宇宙にみなぎる生命エネルギーは、本来、万能性を有する。万能細胞が万能性を発揮して、必要に応じてあらゆるものになれるのと同じように、私たちは必要性からくる自由意志プラスこの万能性(実現能力)を発揮して生きられる。これって私が求めている自由自在ではないか。すべての生命体が与えられた環境で役割を果たしながらスタディしている。それを進化の道のりという。それを助け合うのが愛だ。愛(アイ)はカタカムナの言霊で読み解くと「命に伝わるモノ」あるいは「命が伝えるモノ」という意味になる。つまり、命そのものを観るところから本質的な人生という運動や愛についての理解が得られる。愛は天意(アイ)と言える。
あなたも宮園氣道のズボラー瞑想を習い、実践してみませんか?ズボラー瞑想はズボラな人でも楽しく続けられる私のオリジナルな瞑想法です。宮園氣道講座の錬成コースでお伝えしています。そしていつしか宮園氣道の理念(大目的)を実現しましょう。キーワードは「自己を忘れる」(一時的に)ということです。そのためにズボラー瞑想を活用しましょう。 2023.4.4
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